9/23能『邯鄲』@セルリアンタワー能楽堂
2025-09-23


どうやら秋が来たみたなので、ソロ〓リ、ソロリとお出かけ。渋谷の東急ホテルの地下の能楽堂で『邯鄲(かんたん)』を見てきました。

まずは仕舞で『鵺(ぬえ)』。鵺は、猿の顔、狸の胴体、前後の肢は虎、尾は蛇という、ギリシャ神話のキマイラとかスフィンクスとかと同類のヘンテコリンな怪獣ですが、これが弓の名手源頼政に退治されたんだそうだ(平家物語)。で、その鵺の霊が成仏できなくて旅の僧の眼の前に現れ、その僧が丁重に弔ってやるというお話。紋付袴のまま舞を舞う略式の5分ほどの上演。矢に射抜かれた鵺の苦悩を表してたのかな???

狂言は野村流の『萩大名』。田舎出の大名(地方豪族と言った感じ)が訴訟のために都に来て、勝訴したついでに都見物をしようと、萩の庭園に出かけて一騒動起こすというお話[LINK]

さてさて、本題の観世流『邯鄲[LINK]』。邯鄲の枕、邯鄲の夢、一炊の夢、黄粱の夢…さまざまな言い回しがありますが、盧生という青年が自分探しの旅に出ます。邯鄲の宿の女主人が粟を炊く間に、盧生は件の枕でうたた寝。ふと気づくと楚の国の帝が盧生に位を譲るというので勅使がやってきている。盧生は文字通り玉の輿に乗って楚の宮殿にやってくる。それから50年酒宴が続き、盧生は自分でも長寿を寿ぐ舞を舞い出します。そこに宿の女主人が、「飯が炊けたよ」と起こしにやってきて…

世阿弥は全く心にも抱かなかった唐物。彼はかなり素っ気なく拒絶していたらしいんですが、世阿弥の娘婿、金春禅竹って人がどうもこの唐物を取り上げて芝居を作っちまったらしい。禅竹って人は幽玄な世界を推し進めた張本人でもあるんだけど、邯鄲のようなワケが分かったような、分からんような、ヘンテコリンなものも作ったみたいだ。いや禅竹作だって確証があるわけじゃないんだけど。

舞台上には寝床とおぼしき20センチ程の高さの天蓋の付いたベッド。これが宿屋のベッドでもあり、宮殿の玉座にもなる。粗末な袈裟を着た盧生がうたた寝をしていると、後見が衣装をめくりあげ、その装束の下から皇帝の衣装が現れ一瞬にしてタイムスリップ。祝宴の最初は、小さなベッドの上で踊っているんだけど、手の舞い足の踏む所を知らずとばかり、ついには舞台全体所狭しと踊り狂う。ところが「飯ができたよ」の言葉とともに、狭いベッドにダイブ。能の装束を着たまま空中で半分ひねって仰向けのポーズで着地を決める。シテも若くないとこりゃできないねぇ。

能装束ってのは目の保養。なんとたまたまですが、正面席の1列目という願っても叶わないような席で見てしまったのさ。シテの衣装もそうだけど、ワキの大臣やら子役の衣装も鮮やかだったなぁ。地謡はギリシャ悲劇のコロスに通じるものがあるとかないとか、そもそも比較の対象にはならないでしょう。役割が全く違いますね。


コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット