11・9 狂言「左近三郎」、能「歌占」@矢来能楽堂
2025-11-10


昨日はそぼ降る雨の中、牛込矢来町の矢来能楽堂で大蔵流狂言「左近三郎」と観世流能「歌占」[LINK]を見てきました。

左近三郎(さこのさむろう)は猟師。結構教養がありそうな、でも生半可な知識を振り回すタイプ。猟師は殺生を生業とするため、仏教では罪深い存在とされています。三郎が狩りに出かけると、禅宗の坊主と出会います。三郎は坊主をからかってやろうとして、禅宗の開祖達磨大師の「殺生せよ、殺生せよ、刹那も殺生せざれば、その身地獄へ矢の如く」という言葉尻を捉えて、達磨も猟師の存在を認めていると議論を吹っかけます。達磨の本心は「煩悩や邪心を殺生せよ」ということなんですが、坊主は「人の内面のことでござる」とかわします。殺生なんて言葉は那須の殺生石か槍ヶ岳の殺生小屋ぐらいしか現在では使いませんが、仏教の方では、生き物を殺すことにやけに嫌悪感を抱いているようで、原始仏教では畑を耕すのも罪だったようですねぇ。

三郎はさらに坊主に酒は飲むかと問い、これは坊主も肯定します。さらに妻は居るかと尋ねると、弓矢で脅された坊主は「そんな者もおったような」と仕方なく答えます。坊主は鹿を殺せば鹿に生まれ変わると言い、三郎は坊主を殺せば坊主に生まれ変わるのかと切り返します。しまいには俺を旦那(檀家)にしろと言い、殺生をする者は旦那にできないと坊主。なんともチグハグな論理のお遊びですが、坊主を演じた善竹十郎という80過ぎだそうですが、飄々としたキャラで京都弁なのかな、悠然として相手の言葉を受け流す様子が実によかった。猟師は息子さんだそうですが、こちらは血気盛んな力持ちタイプ。枯れた坊主に肉食猟師。なかなか面白かった。

シテの小島英明という人は、よく通る声でしかも美声。この日は面をつけずにすっぴんでやっておりましたが、ちょうど年齢的にもすっぴんで通せる容姿。これ以上の年だと邯鄲(かんたん=盧生という青年)の面をつけるみたいです。若いんだけど、髪の毛は真っ白という、臨死体験をした苦悶の様子が見て取れます。占いという神社の風習と、地獄めぐりという仏教の話がない混ぜになって、それはそれで魅力的な話でした。後半の30分はほとんどシテが一人で舞っているんですが、バックのお囃子が大迫力。小鼓、大鼓の「いよ〓」という掛け声、空気を切り裂くかのような能管の響き。地謡に一人女性がいたけど、あの低い声で謡うのはかなり大変なんじゃなかろうか。

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昨日は一日中冷たい雨が降ったり止んだりでしたが、今日は雲一つない晴天。


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